教育基本法「改正」につい ての私たちの見解(2007.2.11)
教育基本法「改正」に反対す る(2006.5.15)
教育課程の「大綱化」「弾力化」は中学・高校の数学においてこそ生かされるべきである (1998.6.1)
新教育課程でも分数指導は小学校でまとめるべきである(1998.3.25)
(提言)開かれた多様な数学教育をめざして(1995.7.4) 
    提言の概要 
数学教育協議会 指標 (1965.8.3)
数学教育協議会設立趣旨書(1951.12)

 
 
 
 
 
 
 
 


教育基本法「改正」につ いての私たちの見解


 私たちは昨年5月15日、数学教育協議会常任幹事会の名で、“教育基本法「改正」に反対する”声明を出しました。
 しかし国会では、改正の理由はついに明らかにされず、慎重審議を求める大多数の国民の声も反映されず、さらには、タウンミーティングでの「やらせ発言」 問題、「愛国心」教育の問題、「いじめ問題」、必履修科目の「履修不足」問題など、問題点が多岐にわたって噴出したにもかかわらず、政府与党はまともな答 弁もせず12月15日数の力で可決しました。
 この強行採決はとても納得できるものではありませんが、私たちは次の段階に向けて新たな活動を考えて行かなくてはなりません。

 審議の過程で明らかになったように、内心の自由について政府は「子どもの愛国心を評価するのは難しい」と答え、「日の丸・君が代」強制については「批判 する子どもの思想・信条は自由です」と答弁せざるを得ませんでした。また、教育の自由について、1976年の最高裁旭川学力テスト判決が憲法から直接導き 出した「教育内容への国家権力の介入は、できるだけ抑制的でなければならない」という論理を認めざるを得ませんでした。
 このように、教育基本法が「改正」されたからといって、内心の自由・教育の自由などが侵害されたり、教育内容への無制限の介入が許されたりするわけでは ありません。これらの自由を保障し、恒久平和を謳っている日本国憲法を守り抜いていくことが、今極めて大切になっています。また、今後予定されている、学 習指導要領の改訂、「教育振興基本計画」の策定など、競争や管理・統制や教育内容の押しつけを、これ以上増やすことのないように、努力していく必要があり ます。
 それとともに私たちは、活動方針に則り、地道で着実な取り組みをする中で、たのしくわかる数学教育の創造をめざします。

2007.2.11 数学教育協議会 全国委員会
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教育基本法「改正」に反対する 

  4月28日政府は自公合意を受け、「教育基本法改正案」を今国会に上程することを決定した。「成立後60年近く経たので古くなり実情に合わなくなった、ア メリカに押し付けられたものは自分たちで変えるべきだ。」また、「子どもたちや学校にさまざまな問題が起きているのは、教育基本法があるからだ。」などの 理由をあげている。
  本音は「改正案」に遠慮なく書かれている通り、「愛国心」教育を条文に盛り込むことであり、何よりも教育の内容を意のままにコントロールしたいということ である。これは日本を「戦争できる国」にしたいという「改憲」の動きと根は同じだと言える。
 
  はたして教育が多くの問題点を抱えているのは、上に述べられた理由からなのだろうか。
 法的根拠もあいまいなまま学習指導要領で枠をはめ、先進諸国に比べて教科学習の時間数を極端に少なくしている。他国では考えられないような国旗国歌の押 し付けなど、教育から自由を奪うことが平然と日本国中で行われている。国際的には常識である30人(以下)学級さえも、財政などを理由に実施されていない 地域が多い。それでいて、国際的な「学力調査」の結果に一喜一憂しているのは、支離滅裂としか言いようがない。    
 このように状況を冷静に見ていけば、他ならぬ政府文部(科学)省が問題点を真摯に解決しようとしなかったため、教育をダメにしてきたのではなかったの か、 と言わざるをえない。

 古くなったと言われる教育基本法の前文・第1条の、「個人の尊厳、真理と正義を愛す、勤労と責任を重んじる」等どれをとっても、現在の格差社会に的確に 当 てはまる警鐘となっている。
 今求められているのは、この教育基本法の精神に則って教育を行うことであり、過去の侵略国家への逆戻りとなる政治が教育に介入すること・権力で押し付け る ことではない。
 わたしたちは、教育基本法「改正」に強く反対するものである。
               
     2006年5月15日  数学教育協議会 常任幹事会


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開かれた多様な数学教育 をめざして

 

0.なぜこのような提案をするか?
 今年から隔週2日の学校5日制が実施され、完全5日制へ向けての学習指導要領の改訂もようやく日程にのぼるようになった。一方、学校現場ではいじめ現象 が深刻さをまし、依然として続く偏差値体制のもとで、青年の未来に対する希望も逼塞状態から脱しているとはいえない。日本の社会や経済も、大震災やサリン 事件、長びく不況や貿易摩擦などにみられるように、21世紀へ向けて《手本なし》の時代にはいったといわれ、それらに対しても、学校教育は大きな転換期に 立たされている。
  今のところ、政府・文部省は99年指導要領改訂へ向けてこれまでと同じ手順・手法によって事を進めようとしているが、それでは基本的な問題点は解決され ず、いっそう規制を強める結果に終わりはしないか?
 本提言は、学校での数学教育について、そうした基本的問題点を指摘し、可能な改善の方向を提案することによって、国民の間に議論を起こすことを願って作 成された。

1.日本の数学教育の現状
 転換を求められていることでは、数学教育もまた例外ではない。2度にわたるIEA(国際到達度評価学会)の数学テスト(1964、1980/81)で も、日本の子どもは計算力は抜群なのに、理解・応用となるとそれほどでもなく、数学に対する興味とか数学のもつ有用性・発展性といった意識になると、その 成績とは恐ろしく不釣合なほど悲観的なものであることが指摘されている。日本の学習指導要領によれば、小学校1年から高校2年あるいは3年まで、国際的に も程度が高いといわれる内容を教えられ、その上受験のため多くの時間を数学学習に費やしながら、小学校でも多くの算数嫌い、中学校以上になると8割近い数 学嫌いを生み出している。
 これはきわめてふしぎなことだと思わなくてはならない。問題がどこにあるのか、一度徹底的な議論が必要であろう。
 戦後学習指導要領は何回か改訂されたが、その度ごとにぜい肉を落として「数学的」(?)になってきたともいえるが、反面現実的背景が切り捨てられること によって、悪くいえば「形式的」(?)で、無内容なものに変わってきたとも見られる。いわゆる《学校数学》の形成である。何年生には何を教えるかというこ とが何の疑いもなく、ほとんど固定的に信じられている。その一例は、昨年度から実施された改訂学習指導要領に対する教育現場の対応にも見られる。この新課 程によれば、高校1年の数学は形式的な「数と式」から始めなくても、より実質的な2次関数から始められるのに、そうしている学校は少数だといわれる(A県 の場合26%)。こうした固定的で形式主義的な数学観が教師自身を呪縛していることが問題であろう。
 たしかに、指導要領は改訂ごとにきめ細かく規制され、一面ではたくさんの制約が設けられ、表面的にはやさしくなったかに見える。しかしそのことが、思い 切った飛躍をやりにくくし、実質的内容を希薄にして数学をかえってつまらないものにしているのではあるまいか? 同時にそのことが各学年の内容を固定化 し、硬直化した数学観をつくる一つの原因となっている。
  また常に指摘されるように、入試問題の解法を中心とするいわゆる《受験数学》の重圧も、数学教育の硬直化に拍車をかけている。ミスを最小化するその技法 は、せっかく大学へはいれても、大胆な発想を妨げ、創造性を枯渇させていると大学関係者を嘆かせている。大学側は、高校学習指導要領の束縛のために、意味 のある問題づくりに難渋する一方、高校指導要領は大学入試問題をむずかしくしないための歯止めをいっぱいかけることによって、高校の数学の内容を平板なつ まらないものにしている。この蟻地獄のような悪循環もどこかで断ち切らなくてはならない。

2.改善の基本的方向
 きたるべき21世紀を考えてみよう。人口問題や環境問題が常に考慮され、節度のとれた個人生活と経済活動との調和が求められることは明らかである。これ は、個人と全世界が直接結びつく時代であり、それにふさわしい部分対全体の計量(たとえば単位あたり量による認識)が不可欠となる。また、コンピュータや 各種通信手段の発達に対して、大局的な判断能力を失わないためには、数学のもつ構造主義的な思考法は大きく役に立つだろう。
 現在の日本では、数学は理系のものという観念が強いが、21世紀がこのような総合的認識を必要とする時代なのであれば、数学はすべての国民、あるいはむ しろ文系の人にとっても重要なものになろう。そもそも文系・理系といった区別自体意味を失うだろう。 数学が独自の形式と体系をもつこと、そしてそれが数 学の有効性の源泉でもあること、これは長い歴史の中で実証されてきたことである。他方、数学は現実の問題からも常に刺激を受けてきたし、また現実問題に戻 ることによっていっそうその意味を豊富にしてきた。簡単なことではないだろうが、数学のカリキュラムは、この形式と実質の両面で調和のとれたものでなくて はならないことは明らかである。先述のように、今日の《学校数学》には、このいきいきとした交流が欠けて、単なる計算技術や作られた問題を解く自閉的なも のになっている。
 こうしたことを考えると、これからの数学教育の方向性を示す標語は、内容的には
                よ り 実 質 的 な も の へ
ということであり、やり方としては、
    開 か れ た 多 様 な 数 学 教 育 へ
ということになろう。
 日本の数学教育の歴史の中で、こうした方向を模索したと思われる試みがまったくなかったわけではない。第2次大戦末期の理数科数学(『第1類』、『第2 類』)(1942)と戦争直後の文部省著作教科書『中学生の数学(第1学年用)』(1947)が、前者が戦時下での即戦力につながる科学技術の重視、後者 が個人の消費生活への適応中心という一面性をもっていたとはいえ、実質的な開かれた数学教育を志向していた点では、今日の時点からみて注目されてよい。
 学習指導要領が思想・信条の自由に抵触するのではないかという違憲の疑いは、1958年の改訂以来常に問題となってきた。いくつかの裁判の判決にもかか わらず、日の丸、君が代の強制にみられるように、この疑いは今日でも払拭されたとはいえない。
 40年近くにもなる指導要領体制が、数学教育の硬直化・無内容化に一役買い、しかも教師の多様でダイナミックな教育実践を抑制しているのであれば、それ は単に思想の自由という一般的な問題にとどまらず、緊急の教育学的問題でもある。これに教科書の検定制度が輪をかけているが、そうした画一化のもとは指導 要領にある。画一化され閉じた数学教育を改める最も手っ取り早い方法は、この指導要領を廃止するか、少なくとも戦争直後のように試案、あるいは大綱に戻す ことであろう。そのようにすると、日本の数学教育の水準が維持できなくなるとか、際限なくむずかしくなると思う人がいるかも知れないが、それは杞憂という ものである。情報化がすすみ、ダブルスクールといわれるほど民間の教育機関が多様化した時代に、文部省がすべてを規制できると思う方が時代錯誤であろう。
 学習指導要領は明らかに学校教育の桎梏となっている。したがって、1999年改訂をめざす今日の議論においては、指導要領の性格と役割を、その存続も含 めて検討すべきである。

3.いくつかの具体的提案
 指導要領体制を維持するとしても、その大幅な弾力化は避けられない。弾力的運用自身は文部省も奨励しているところだが、現状では、それはやりたくてもで きない。少なくとも次のような具体的な指示を明記しなければ実効はない。
 1)小学校は、低中高2学年ずつにまとめる。1/2年、3/4年、5/6年の境界をはずして、自由に順序を入れかえられるようにする。5日制に伴う内容 削減のため、かけ算の導入を3学年に、概数・概算を4学年に、分数の導入を5学年にくり下げ、関数としての比例は中学に送ることにすれば、それぞれの段階 の内容コードは、
          整数/分離量、 小数/外延量、 分数/内包量
と明快に規定されることになる。 
 2)中学校は3学年まとめる。つまり3年間で達成すべき目標のみを定めて、その順序や指導法は問わない。
 中学数学でこのことを格別強調したいのは、数学的にもおよそ無意味と思われる内容分割が行なわれているからである。たとえば、文字と式では、1年は1次 式、2年は整式、3年は乗除と分断されているので、1次式の定義にすら困るありさまである。方程式も1年は1元1次、2年は連立1次、3年は2次方程式と 分断されているため、現実問題の解決にとっての自然な形式を選択するという余地をなくしている。関数もまた1年は比例・反比例、2年は1次関数、3年は y=ax2、そして一般の2次関数は高校数学 と細分されているために、関数の一般概念がつかめないのみか、数学は際限なくむずかしくなるというマイナス イメージを抱かせる大きな原因となっている。
  図形分野ではいわゆる「論証幾何」が強化されたが、大量の図形嫌い・論証嫌いを生み出している現実に目をつぶるべきではない。中2の段階にこのような中途 半端な論証を課することよりも、物の作成・地図・測量などのような実質的内容の充実をめざすべきであろう。
 いうまでもなく、中学校は、興味と個性が分化する時期であり、数学についても例外ではない。とすれば、少なくとも中3以降は大幅な分化を許さなくてはな らない。たとえば、分野別(A数式、B図形、Cその他)と必修・選択との組合せなど考慮さるべきだろう。とくに、「その他」の中には、コンピュータなどを 使いこなし、社会的問題解決を図るためのアルゴリズムの学習が含まれよう。 
 3)高校こそ、入試の束縛から解放された自由な教育が希望されるところだが、そのためには、前述のように学習指導要領の廃止こそ最善の方策と思われる。 指導要領とのリンクが切れることによって大学入試が際限なくむずかしくなると思うのは短絡である。不適切な問題およびそれを出す大学は淘汰されるだろう。 高校の方にしても同様である。 伝統的な代数・解析・確率などとともに、情報論やグラフ理論なども含めた多様な講座や、数学を使っての社会問題の解析など が考えられるが、いずれにしても画一的な《受験数学》から、自由な探求と思索にもとづく発展的な学習が常態とならなくてはならない。

4.国民的議論による改訂を
 数学教育の内容は数学者あるいは数学教師だけが考えるものだと思うのは大きな間違いである。数学教育が開かれたより実質的なものに転換すべきだとしたら ますますそうだろう。日本ではたいていの国民が少なくとも小学校1年から高2までの11年間の数学教育を受けているから、幾世代にもわたるその体験の蓄積 は厖大なもののはずである。彼等の学校数学の経験と、社会へ出てのその有効性も含めて、これらの国民一般の評価と意見も当然参照されなくてはならない。さ らに『子どもの権利条約』の精神からすれば、当事者である児童・生徒の声に耳を傾けることも考えられてよい。
 これまでの指導要領の改訂にはそうした意見聴取が行なわれたことはなかったが、今の転換期にこそそれが行なわれるのにふさわしい。このささやかな提言が そうした議論の発端になってくれれば、わたくし達の意図は半ば達成される。

                                            1995年7月4日
       〈発起人〉

安藤 洋美(桃山学院大学) 
井上 正允(筑波大附属駒場中高) 
何森  仁 (東邦大学非常勤)
市橋 公生(東野高校)        
今井 義一(津田塾大学非常勤)    
上垣  渉 (三重大学)
小沢 健一(清瀬高校)
木村 良夫(神戸商科大学) 
銀林  浩 (明治大学)
小島  順 (早稲田大学)
小田切 忠人(琉球大学)
小寺 隆幸(東久留米中央中)
小林 道正(中央大学)          
榊  忠男 (数学教育研究者)
新海  寛 (信州大学)        
鈴木 一巳(東十条小)
関沢 正躬(東京学芸大学)
瀬山 士郎(群馬大学)
野崎 昭弘(大妻女子大学)
馬場 良和(静岡大学)
増島 高敬(自由の森学園)
松井  保 (島根大学名誉教授)
丸山 哲郎(静岡大工業短期大学)    
宮本 敏雄(元都立商科短期大学)
森    毅 (京都大学名誉教授)
山口 昌哉(龍谷大学)
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 ・  提  言  の  概  要  ・ 

  学習指導要領改訂を前にして、これからの数学教育のあり方を考える別掲の提言『開かれた多様な数学教育をめざして』を、数学および数学教育の関係者26名 の連名で公にし、広く議論をよびかけることにしました。提言の概要は以下の通りです。

0.なぜこのような提案をするか?
  だれでも感じるように、21世紀へ向けて、日本の学校教育は大きな転換点に立たされている。指導要領改訂が従来と同じ手順・手法で行われるとすれば、問題 点の解決は望めないばかりか、問題はいっそう深刻化するのではなかろうか。
1.日本の数学教育の現状
  国際的な調査でも、日本の子どもたちは、数学に対する興味とか数学のもつ有用性・発展性についての意識の弱いことが指摘され、実際学年が進むにつれいわゆ る数学嫌いが大量に生み出されている。その一因として40年にもわたった指導要領体制のもつさまざまな問題点を看過する事はできない。
2.改善の基本的方向
  これからの数学教育は、計算技術や試験問題解き中心の自閉的な形態から、個人と世界との関連を見すえて総合的認識を重視するものに転換していく必要があ る。またそのためには、指導要領はこの際廃止するかまたは戦後すぐがそうであったように「試案」に留めることにより、画一化された数学教育からの脱却を図 ることが望ましい。したがって、指導要領の性格と役割をその存続も含めて検討すべき時期にあると考える。
3.いくつかの具体的提案 
  指導要領体制を継続するとしても、その大幅な弾力化のために、次のような具体的な指示を盛るべきであろう。
 1) 小学校は、低中高2学年ずつにまとめる。また、たとえばかけ算の導入を3学年  に、分数の導入を5学年にといった学年のくり下げを行う。
 2) 中学校は3学年まとめた目標を提示する。興味・個性の分化が著しい時期である  から、それに見合った学習が保障されるくふうをしなければならない。
 3) 高校は、いわゆる《受験数学》が全体を支配しているが、この現状を抜本的に変えるため、思いきって指導要領の規制をはずすことを考えてはどうか。
4.国民的議論による改定を
  数学者や数学教師だけでなく、もっと広い層からの意見を聴取すべきであろう。この提言もそのような議論の発端になってくれることを期待する。

[発起人代表]   銀林  浩    

 

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新教育課程でも分数指導 は小学校でまとめるべきである
教育課程審議会、文部省への申し入れ

             1998年3月25日  数学教育協 議会常任幹事会   

 昨秋発表された教育課程審議会「中間まとめ」には様々な問題がはらまれていると考えますが、ただ「改善の基本方向」の中 で「目標や内容を複数学年まとめて示すなど内容等の示し方を大綱化」すると述べられていることは重要な指摘です。従来のような固定的な学習指導要領体制 を、ミニマムを押さえるものへと改め、現場の創意と自律性を保証していくことがこれから目指すべき方向でしょう。「大綱化」はその第一歩だと思います。
 そのような「大綱」としての算数・数学科指導要領の在り方について私たちは多くの意見を持っていますが、ここでは特に重大な影響を及ぼす分数の指導時期 に絞り、私たちの意見を貴審議会および文部省に申し入れるものです。
 この「中間まとめ」では学校五日制完全実施や「総合的な学習の時間」の新設に伴い、小学校算数は142時間、中学校数学は70時間削減されることが明記 されています。これは小中学校における算数・数学の授業時数が世界最低水準になることを意味し、日本の数学教育レベルの低下は避けられません。しかしそれ についてはここではぷれません。
 仮にそうなるとして何を「厳選」するかです。「中間まとめ」で具体的に例示されていることだけでは到底上記の時数減に見合いません。そこで実際にはより 大規模な削減や移行が行われることになると考えられます。その一貫として分数指導の時期も検討されていると推察されます。「中間まとめ」では「分数などに ついて指導内容を上級学年へ移行する」と書かれていますが、それは現在小学校6年で指導している分数の乗除を中学に送ることをも意味しているのでしょう か?
 私たちの杞憂であれば幸いですが、もし142時間分の削減のために分数の乗除を中学へ移行するということが検討されているとすれば、それは教科の内容を 無視した時数合わせにすぎないと思われます。分数指導を小中で分断することは、小中の教育内容をともに中途半端なものにしてしまうだけでなく、小中の数学 教育の枠組みを大きく変更することにつながります。このような変更は一つの「厳選例」として提示される性質の問題ではなく、慎重な検討が必要であり、論議 を公開し、数学教育に携わる方々とともに広く国民の意見を聞きながら決めていくべき問題です。
 小学校算数教育の内容は、空間、数量、および言語的側面の3本から成り立っています。文部省の学力調査でも明らかになったように、計算はできても立式が できない子が多くいるなかで、今後ますます重要になってくるのは量の指導です。現在小学校の量指導の終結点は「比と比例」であり、正比例は中学校の代数、 関数へと発展する接点になっています。この正比例概念を習得させるためには、量、量の法則、量と量の関係(分数の乗除を含む四則演算)についての認識を欠 かすことはできません。
 そこで小学校における142時間もの削減を仮に認めるとしても、分数の四則演算は小学校で完結させるべきです。それは下記のような考え方に立てば充分可 能だと思います。
 *小学校では量的比例をしっかり扱い、現在小中にまたがっている正比例関数はまとめて中学校で扱う。
 *現行指導要領のスパイラル方式を改め、子供の中にまとまった認識を作成するために次のように再編する。
  l・2・3年にまたがっている整数の加減について、1・2年でまとまった認識を作るようにする。
  3・4・5年に出てくる小数は3・4年にまとめる。
 こうすることで算数の指導内容は次のように整理される。
    l・2年で分離量と整数
  3・4年で長さ、重さ、面積などの外延量と小数の四則
  5・6年で速さや密度などの内包量と分数の四則
 *文字式は中学校できちんと扱うので、小学校であえて取り上げる必要はない。
 *その他、数量関孫、場合の数、概数概算なども見直す。
 戦後の一時期、分数の乗除が中学へ送られましたが、かえって学力低下をもたらし、国民の大反発をかい、再び小学校へ戻ったという経緯があります。同じ失 敗を繰り返してはなりません。そして何よりもこういう重大な変更が密室で決められてはなりません。最後に私たちの申し入れをまとめておきます。
(1)指導要領作成にむけた議論を公開すること
(2)分数計算は小学校で完緒させること
 貴審議会および文部省が誠意をもって検討してくださることを強く要望致します。

 

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●教課審の「中間まとめ」に対して再び申し入れ

教育課程の「大綱化」 「弾力化」は
中学・高校の数学に おいてこそ生かされるべきである

         1998年6月1日 数学教育協議会常任幹事 会  

はじめに
 昨秋発表された貴審議会の「中間まとめ」は、さまざまな問題を含んでいると思われますが、「改善の基本方向」の中で「目標や内容を複数学年まとめて示す など内容等の示し方を大綱化」すると述べられていることは重要な提起です。ただ、この提起は、たとえば国語や社会などの教科では、「厳選例」の中で繰り返 されているにもかかわらず、算数・数学の「厳選例」では言及されていません。このことが、算数・数学では「大綱化」を図らないことを意味するとすれば、き わめて憂慮すべきことと言わざるをえません。私たちは、学習指導要領を固定的なものから、ミニマムをおさえるものへと改め、現場の創意と自律性を保障して いく方向へ改善すべきであると考えています。そして、その方向は中学校・高校の数学においても実行に移されるべきです。

(1)中学校の数学に関して
 中学校では、数学の授業時間数は年間70時間削減される上、小学校からいくつかの内容の移行が予定されています。また「文字を使った式の計算や2次方程 式」について「軽減」、「空間図形」や「資料の整理」の一部および「いろいろな事象と関数」については「削除」、「標本調査」については「高校に移行」す ることが指摘されているとともに、内容の軽減を図りつつも「図形の証明に関する学習を重点化」することが示されています。
 現実には生徒たちにとって中学校の3年間は、数学の「学力」、数学への興味、関心、好悪の感情などにきわめて大きな格差を生じる時期でもあります。削減 された授業時間数の中で、正負の数、文字の使用と方程式による代数的思考の基本、関数の基礎、ピタゴラスの定理を含む図形と空間の基本性質など、中学校に 固有の内容について、生徒たちの中に格差をできるかぎり生じないような教授と学習を実現することは容易なことではありません。それには、少なくとも次のよ うな配慮が必要だと考えます。
 1)できるかぎり概念の意味、成り立ちを重視すること。すなわち、「わけがわかる」ことを大事にすること。
 2)中学校の数学の目標と内容は、重点的に集約して3年分を一括して大綱的に示すにとどめる。その指導の順序、学年配当や関連づけ方、内容の系統化・体 系化については、複数のそれを認め、思い切って現場の創意、工夫にゆだねること。各学校は子ども、地域の実体に即した内容の順序、系統を創意をもってつく り出すこと。
 3)内容については
    ア)関数については、現実世界との接点を重視し、いろいろな比例に関する現象を中心に扱うこと。
  イ)図形については、論証を強化する方向ではなく、もっと操作・作業を重視したものとすること。
 4)選択数学の内容については、共通に学習する内容からの<横へのひろがり、発展>や<土台を深めること>などの方向で思い切って自由化する。そのなか では、たとえぱ<図形の論証>などもここで扱ってもよい。ただし、高校入試の範囲からは除外し、評価・評定についても別途工夫をすること。
 5)生じ得る学力格差への対応として、学力別、到達度別の学級編成は行うべきではなく、遅れがちな生徒を組織しての補習、個別指導などによるべきである こと。

(2)高校の数学に関して
 高校では「各教科において必修となる科目として、可能な限り小さい単位数の科目を設ける」とされています。そして、数学については、数学I、II、 III、A、B、Cという現行の枠組みを維持しつつ、新科目<数学基礎>をおき、「選択科目の一部について、その科目内で項目を選択して履修する仕組みを 拡充することについて検討する」ともされています。
 ここに含まれる難しい問題として、
  ア)高校は、生徒の興味、関心が多様に個性的に分化していく時期であり、数学に対してもそうであることから、すべての高校生が履修すべき数学の共通的 な内容はかなり少なく限定されざるを得ないこと。
  イ)しかし、ほとんどすべての生徒が高校に進学する今日、高校での共通的な学習内容は国民的共通教養としての性格をもつこと。とくに、人類的・地球的 規模のさまざまな課題に直面しつつ生きていく今日の高校生たちに求められる数学的な素養は質的にかなり高いものとなると思われること。
  ウ)上記のア)とイ)を両立させることは、矛盾を含んだ困難な作業であること。
などがあります。
 私たちは、現行の科目構成では、生徒たちの学習は「広く浅い」ものにとどまりがちになり、あるひとまとまりの認識や能力の獲得に通じる深まった充実感の あるものにはなりにくいと考えます。
 むしろ、高校での数学は<微積分>と<離散数学>とを2つの柱とするいくつかのテーマを選択することにより、その分野の深い学習が可能となると考えま す。テーマの設定についても、学習指導要領ではたとえぱ<運動と微積分>、<グラフ理論入門>などのように例示することにとどめ、数学教育の現場や数学研 究者などの側からも、自由で多様な提案が可能になるようにすべきです。また、テーマの設定やその内容の展開にあたっても、概念から出発して、抽象的論理的 に思考することによって新しい概念にいたるという数学固有のおもしろさを味わう方向と、現実世界の事象を数学的に分析して、そこでの課題を解決するという 数学の有用性を明らかにする方向とがそれぞれに用意される必要があると考えます。

(3)まとめ
 1)すべての教科について、「目標や内容を複数学年まとめて示すなどの大綱化や弾カ化をはかる」こと。
 2)中学校の数学では、内容を思い切って重点的に集約しつら、3年分を一括して示すにとどめ、内容の編成や指導順序、学年配当などについては各学校にま かせること。
 3)高校の数学では、現行の科目編成を維持するのではなく、<微積分>、<離散数学>を柱とするいくつかのテーマを取り上げ、その領域、分野のまとまっ た認識や技能の獲得をめざすこと。
 これらの提案を貴審講会および文部省が誠意をもって検討されるよう要望します。

 

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指標

1.われわれは、憲法と教育基本法を貫く平和と民主主義の教育を実現することをめざし、その一環としての正しい数学教育を打ち建てるために献身的な努カを ささげる。

2.正しい数学教育はすぺての国民が自ら正しい世界観を形成するための確固たる土台を準備するとともに、科学技術のめざましい発展の予想される未来社会に おいて、積極的に活動し得るための基本的能力を提供するものでなくてはならない。

3.研究は理論と実践との有機的統一のもとにのみ正しく発展することができる。理論は複雑多岐な現実の背後に潜む法則を探求し、実践は現実のなかに意外な 事実を発見して、古い理論を修正し、変革する。この二つの側面が正しく統一されるように努める。

4.われわれの理想に向かって研究と運動を進めていくためには、数学教育協議会は強い団結力をもつ有機的な集団でなければならない。強い団結力は、全会員 の創意をあくまで尊重する自由討議の雰囲気と、自由討議の上で決定された方針をあくまで守っていく集団の規律によってのみ保障される。

5.われわれの理想は、多くの国民の努力によってはじめて実現することができる。日夜教育の仕事にたずさわっている教育者はいうまでもなく、父母、専門学 者、学生など、およそ教育に関心のある国民のすべてによびかけて、手をたずさえてわれわれの理想の実現に向かって進んでいくことを願ってやまない。

1965年8月3日
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数学教育協議会設立趣旨 書

 

 われわれは、日本の独立を達成し、国民の生活を高め豊かにしていくことを念願するものである。次代をになうべき国民の教 育は、この目的にそうものでなくてはならない。ところが、現在行なわれている数学教育によっては、この目的を達成することは、きわめて困難であると考え る。
 われわれは、現在の数学教育に対して次のように判断する。今日の数学教育は破局に瀕している。児童の計算力は2年低下しているといわれ、論理的思考に対 する意欲は失われつつある。
 これは戦後の社会状勢に起因するところも多いが、その最大の原因は経験単元または生活単元とよばれる学習形態によるといわなければならない。断片的に個 々の教材を漫然と取り上げ生活指導に利用していくという経験単元の方法では、学力の低下は余りも当然の結果である。このような断片的な教材の寄せ集めに よっては、断片的でない生活指導は不可能であろう。経験に即すると称していたずらに感覚的な世界に低迷する「新教育」は、実は形式陶冶をふりかざして経験 を無視した「旧教育」の単なる裏返しにすぎない。われわれは、組織された経験こそ生活指導を可能ならしめるものであると考える。そしてまた、今日「生活指 導」といわれるものは、内容的には「消費生活指導」の一面に止まり、「生産生活指導」が無視されているのは重大な欠陥といわなければならない。
 数学教育は、いたずらに経験に追いまわされるのではなく、経験を組織し合理的な思考や批判的な態度を身につけさせることを意図し、さらに進んで人類の幸 福のために、環境を積極的につくりかえていく近代科学の精神にそうようなものでなければならない。
 われわれは、この念願に一歩でも近づくために、広く志を同じくする人たちの協力を望むものである。

                       1951年 12月   


(起草者 小倉金之助、奥野多見男、香取良範、黒田孝郎、遠山啓、中谷太郎、山崎三郎。これはのちに、1953年11月29日の数教協第1回大会で、ほと んど訂正するところなく承認された。)

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